銀行 | 大正ロマン、日本橋の銀行員

休日の銀座

午前八時、麻布の下宿で目を覚ますと、窓の外はもう明るく、街路を走る東京市電のベルが心地よい。平日の慌ただしさはなく、今日は完全な休日だ。

鏡台の前に腰かけ、髪を柳屋ポマードで七三に撫でつける。お気に入りの丸善謹製の背広に身を包み、白いカフスに銀座・和光で求めたカフスボタンを留める。ポケットには小さなウォルサムの懐中時計。足元の磨いた三越特選靴が、心地よい緊張を与えてくれる。これが自分の戦闘服だ。いや、今日は戦わずに楽しむための装いだ。

午前十時、東京市電に揺られて京橋を抜け、銀座へ向かう。平日なら、窓口に詰めて融資稟議に目を通し、頭取の機嫌を窺うのに必死な自分。だが休日の今は、ただの一市民として、銀座の石畳を踏みしめる。通りには、同じように粋な背広姿の紳士や、モガたちが並ぶ。和洋折衷の和菓子屋のショーウィンドウを覗き、洋品店から漂うゲランの香水の香りに胸が弾む。

まずは三越百貨店に入り、輸入品売り場を冷やかす。イギリスのハロッズのタイピン、フランス製のウォーターマンのペン、アメリカのウォルサムの懐中時計……銀行の薄給では手が出ない品ばかりだが、眺めるだけで気持ちが浮き立つ。陳列棚に映る自分の姿が、少しだけ大人びて見えた。

昼は並木通りの洋食屋でオムライスと珈琲。カップの裏には大倉陶園の青いマークが見えた。隣のテーブルにはモガが二人、赤い口紅に笑顔を浮かべ、何やら楽しそうに話している。不意に視線が合い、頬が少し熱くなる。いつもは金利や担保のことばかり考えているが、こんな日に胸が高鳴るのも悪くない。

食後、まだ陽が高いうちに、石畳の銀座通りをゆっくりと歩いてみる。和洋折衷の店構えが並び、紳士淑女が行き交う街角は、時間がゆったりと流れているようだ。銀座の一丁目から四丁目までを往復しながら、ショーウィンドウの品々を眺め、洒落たカフェや洋品店の看板を目で追う。

夕方は銀座のカフェーに立ち寄る。ドアを開けると、ピアノの調べと煙草の香りが混じった空気が迎えてくれる。ソーダ水を頼み、手帳を開いてメモを取りながら、ぼんやり店内の人々を眺める。詩人風の青年、洋装の淑女、帽子を傾けた紳士……それぞれが、この時代の波に乗ろうとしている。

陽が傾く頃、石畳にガス灯が灯り、銀座の通りはさらに艶めいてくる。モダンな洋館や看板が柔らかな光を受け、道行く人々の笑顔が美しい。銀行で日々、貸倒れや不況の影に怯えていても、この街にいるとそんな不安さえ薄れるようだ。ハットのつばを軽く持ち上げる。帽子の裏地には、ボルサリーノのタグが縫い込まれている。

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